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歌姫たちのSoulfulな月曜日

               
難波屋、秋

難波屋 釜ヶ崎 西成署北並び 新今宮、動物園前が最寄駅 ありがとう 春には、復活します.もう少し
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SOUL TO SOLE

 大盛況でした、感謝! 
 生野から、熱いもんを・・

soul to sole
  
 難波屋 大阪釜ヶ崎 西成署北並び
 午後7時スタート 投げ銭

『今日、は。』

 全ての書き物は創作である。

 ブログを始めて4年以上経った。ニューヨークの思い出を書き出したのが、始まりだった。大阪の事も書き出した、書いて来たのは昔、自分が出会った事、想ってた事、書き出して解ったのは思い出も断片化されて来ていると云うこと、仕方がない、随分、永く生きた、まさか還暦近くまで来るとは若い頃には思わなんだ。
 記憶の断片化、時間の前後を迷わせる、どちらが古い話だったか、忘れてしまう事が屢々、考えてみれば長い時間を生きてる、昔から日記のように何かに書き留めておく習性があれば確認出来よう、然し、全く日常的に書き残す事等しない性格だったので、記した物から時間を確かめる術はない、ただ写真は撮り続けて来たので、思い出の後先を知る手だてとして写真から時間を計ることが出来る、然し写真には時は記されない、プリントの裏だったり、スライドだったらマウントに日付が記されている事もあるが、ネガになるとそれはない。
 
 その写真も僅かしかない時代になると、あれは何年生、いくつの時やったかな、と前後の順序が曖昧になってしまう。

 記憶と云うのも年を喰うと共に曖昧な物になって行く、猪飼野について書き出した時に物語としたのは、薄れて行く記憶の中で事実が不確かになって、創作として書くしか出来ない事に気付いたから。

 人の事実は本人以外の人が確認する術はない、それが真実であろうと無かろうと。
 冒頭で述べた、全ての書き物は創作であるのは確かな事実である。
 
   今日、は。
    昨日や、ない。

     今日、やから。

     明日、も。

      今日や、ない。
       明日、やから。



     簡単な、ことや。
     

同じ時間は。
     二度と無い。


      せやから、、、。


       今を、


        生きてる。。




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         お問合せは bo-satu@music.zaq.jp
                 

『天王寺物語 最終章「君を思い出したくて」』

 ライブで彼女が歌ったのと同じ様にイントロはなくカリビアンが歌われ出した。
 まだ僕は彼女の本意は解らないままだったが、この歌い出しの声は少なくとも望んでいない者の声ではない、幾分、勝手な解釈のようだが、そう思い込む事にした。

 7年前から大阪でまた住み出して、暫くして妻とも別れ、一人になった。
 サムクックの名曲、A change is gonna come の如く故郷の生野に流れている平野運河も生活排水が注ぎ込まれなくなったおかげでメタンガスを発した臭い匂いも幾分は改善された。
 19才の時にこの町を出てから又ここに戻って来て住むとは思わなんだ。
 大阪の町もすっかり変った。僕たちの町だった天王寺は駅前の街並は阿倍野筋西側からあべの銀座にかけて、嘗ての市井の姿は面影もないほど変えられ、無味乾燥なコンクリートの塊で出来た商店街に変えられてしまった。
 天王寺だけではなく梅田もすっかり変わってしまった。
 路面を徘徊する街から建物の中を徘徊する街並へこれからは変えられて行くのだろう、そのうち、近未来SF小説に出て来るような、路面は限られた階級の人達だけの場所になっていくかも知れない。

 変革はいつか訪れると半世紀近く前に歌われてから、アメリカでは黒人を始めマイノリティーに対する待遇改善は進んでいる、公民権を得た黒人からは大統領まで輩出した、然しこの国はどう変ったのだろう、変えたのは建物とか形だけで、人の生きる権利の問題など少しは良くなったのかと思うと決してそうは思えない、寧ろ悪くなってると云える、相変わらずビリーホリディのGod bless the child に歌われていた時代の『富める者は富み、貧しい者は貧しい』ままだ。
 さらに昨年起きた福島原発事故ではマイノリティーのみならず普通の市民に対する人権意識の低さを国家は露呈された、被害を受けた住民の救済は蔑ろにされ、危害を加えた方は手厚く保護される、本末転倒な人権意識で、この国にある人権は権威に帰属されたものでしかなかったようだ。

 公民権運動はボブ・ディランのBlowing in the windから始まった、そのBlowing in the windに影響を受けたサム・クックが作ったA change is gonna comeがアメリカに初めての黒人大統領を誕生させた。
 60年代後半から70年代にかけて世界の音楽は目紛しく進化した。
 60年代に黒人音楽指向の若者が作り出したロックミュージックは瞬く間に世界に広がり、それぞれの国でそれに影響を受け新しい音楽が形成された。
 ボサノヴァやレガエ等も、ロックの誕生が大きく影響しているといえる。
 同時にロックはRebel Musicとも言われ、常に体制側と相反するところに存在していた。
 モントレー・ポップ・フェスティバル でJimi HendrixがWild Thingをアメリカのヴェトナム空爆に抗議するかの如くギターに火をつけ燃やす演奏等は、RockがRebel Musicであった事を象徴するシーンである。彼はWoodstockのコンサートでもアメリカ国歌であるStar Spangled Bannerをアメリカのヴェトナム空爆に見立て演奏している。
 背景にはヴェトナム戦争等の社会情勢もあった、ヴェトナムの厭戦ムードが漂う中で緩やかに始まった反戦運動には常に歌があった。そのムーブメントはRockだけではなく、R&BからはMarvin gaye が希代の名曲、ソウルミュージックでは初めて戦争の無意味さを問う反戦の歌とも云えるWhat's going onを1969年に発表した。
 71年には国境も宗教もない処を想像してご覧とJohn Lennonが発表したImgineは戦争の原因となる国家間、異宗教の対立を否定することで、人が争う事なく共存出来る世界を提唱する。
 歌の持つ力は武器を使わずに変革をもたらす事が出来る、僕たちの世代はそう信じていた。
 70年代半ばに現れたBob Marleyが僕たちの信じていた事の答えを出してくれた。
 そして、80年暮れのJohn Lennon暗殺、翌年のBob Marleyの死が時代の終焉を迎える。
 
 音楽に変って今は呟きから始まる。

 21世紀に入って急速に発達したネット社会は人の繋がり方まで変え、町から店をなくしていく、各駅前商店街に一件はあったレコード屋は大きな量販店の進出と共になくなり、更にネットショップの登場で店に行かなくても買い物が出来る様になった。大手のCDショップもその影響を受け閉じる店も出て来て、ニューヨークではCDショップがなくなったとさえ云われている。
 メディアもレコードからCDへ変わったと思ったら、次は音楽ファイルそのものがネットからダウンロードされ売られると云う時代になった。
 これからはメディアとしてのCDの存続も危ぶまれると言うのに、何故今CDをプロデュースしようと思ったのだろう。

 ボサノヴァを歌ってた彼女に僕が感じたのは昭和と呼ばれた時代の歌だった。
 ボサノヴァも考えて見れば60年、70年代の音楽である、云えば昭和の時代の音楽だ、おそらく彼女が唄ってる歌の多くは彼女が生まれる前に作られ、僕等が若い頃に一度は耳にしたことがある曲だと思う、ポルトガル語と言え、彼女は自分の生まれる前のずっと昔、僕たちが過ごしていた時代の歌を唄っている、60年代の英米音楽、ロック等から同じ様に影響を受けて来た音楽である。
 色んな事が繋がって、僕は彼女に昭和を感じたのかも知れない。

 昔は良かったと言うつもりは無い、ただ進み過ぎた文明の中で置き去りにして来ている何かがあるような気がする。
 音楽も然り、これから標準化されようとしている圧縮ファイルによる音楽配信も、展開されている音は遊び(Play)の省かれた音楽の信号化で、おおよそ音楽のエッセンスであるSomething else が期待出来るものではない。

 70年代に大きなラジカセを肩に乗せ町に出て好きな音楽を鳴らしていた。やがてウォークマンが登場、空間から聴こえていた音楽はヘッドフォンを通じて機械から聞く様になって、共有する物ではなく個人の物になり、今では携帯からイャフォンで聴くようになった。
 デジタル変換からファイルの圧縮、技術は進んでいる。
 大きなオープンリールのテープでの録音はメモリーカードで出来てしまう。
 確かに便利な世の中になった、然しその便利さは人と人の間に空白を作ってしまうのではなかろうか、ふとそんな気がした。

 ボサノヴァしか唄って来なかった彼女がボサノヴァでないカリビアンを唄う事には戸惑はあった筈だ、加えてオイラとかオヤジとか男詞で唄う事にも、然し、全ての葛藤を乗り越えて彼女はこのカリビアンを唄いこなしてくれていた。
 そして今、カリビアンが40年の眠りから覚めた、福ちゃんが、みんなが音楽に想いを寄せ、可能性を信じていた時代70年代に作った歌だ、そのずっと後に生まれた娘が新たな時代に甦らせてくれた。
 情報に支配され、人の繋がりが希薄になって世界情勢が混沌してゆく今の時代に、緩やかにゆっくりした時間のラブソングを歌い上げている、急ぐ事はないよと。
 ボサノヴァシンガーである彼女にとってカリビアンが一曲目に来るCDアルバムは本意なものでないかも知れない、ましてこれは彼女にとって記念すべきファーストアルバムになるのに、CDをセットして最初に聴こえて来るのはボサノヴァでは無い訳だから、幾ら了承してくれていると云え、その気持ちはと思うと、僕は嫌われていても仕方がないと思う。 
 ただ、ボサノヴァもカリビアンも古いものから逸脱して新しい音を作ろうと世界中で動きがあった時代の音楽だ、コンセプトとしては然程変わりはない、もし福ちゃんがブラジルに生まれていたらカリビアンはボサノヴァになっていただろう。
 カリビアンは人の発達して行く物質文明のなかで失われて行く人に対する敬いの念に対して優しく警鐘を鳴らしてくれる歌だ、30年後、いや10年、来年になるかも知れない、その時が来たら、解ってもらえるものだと思ってる。
 
 天王寺から始まった、高校に入ってミュージシャンに出会い、松崎町の坂を上がって阿倍野で音楽を聴いていた。公園にある野外音楽堂ではフォークやロックのコンサートが催されていた。
 全てが消えた。
 人も同じく、天王寺界隈で音楽に携わっていた仲間達も鬼籍に入ったりして減って行った。あの自分達で創っていた時代はもう幻になってしまうのかと思ったりしたけれども、火は消えていなかったようだ、最近、あの時代を彷彿させるような若者達が登場している。
 歌には無限の可能性がある、アメリカで公民権を勝ち取った様に、歌が人を動かして変えられる事もある。
 差し詰めこの国が対峙している問題として原発がある。福島の事故は原発の存在悪を確かにした。京都にはずっと原発を無くそうとライブで唄い続けているバンドがある、やがて彼等の歌が日本中に浸透してゆき原発が無くなる時が来るのではないかと、思いたい。
 勿論、彼等だけでなない、途絶えたと思っていた70年代の音楽に対する想いは次の代へと引き継がれていた。  
 僕がCDをプロデュースした事も、知らぬ間にその流れに入っていただけのことなんだ、間違いではなかった。

 君を思い出したくて、表題曲になってるこの歌は夜中に目を覚まし突然に10分くらいで書き上げた詩をもとに歌がつくられた、始めは誰か特定の人がモデルでいるのかと自分でも思った、美穂が浮かんだ、然しこの文章を書き出してからは美穂、いや美穂だけではない事に気が付いた。それはあの時代、輝きを持って活きていた全ての君だと、変わって行った時代を憂いている君に、再び、笑顔を取り戻させる為に、まだまだ僕にはやらなければならない事がある、君に笑顔を再び見る為に、これからもアーティストとして、時には音楽プロデューサーとしても。

        
               

     
  26号線

『天王寺物語 十九』

 ふと懐かしさを感じた。
 事の始まりは西成の立ち呑み屋の奥ににあるライブスペースでゲストとして歌ってた彼女を観た時だった。
 低くて太い、女性歌手では近頃はあまり聴かれなくなった遠い昔に聴いていた様な声がした。
 この娘は今、僕たちの世代に欠けている時間を埋めてくれる、迷いなくそう思った。

 アメ村のコンサートが終わって暫くしてニューヨークに戻った、美穂とは会わずじまいだった、連絡もとらなかった。
 その時が一人で日本に戻った最後になった。
 
 91年の暮れにまだ二ヶ月の娘を連れ親子三人で日本に戻って来た。
 東京に暫く滞在したが、結局は大阪で住むことになった。
 その頃大阪では福ちゃんがカーペンターファミリーと云う大工派遣の事務所を構えていて、そこで仕事を世話してもらっていた。
 既に学生ヴィザ等は前回で失効しており、観光ヴィザを書き換えての帰国だった。
 まだ仕事はあった方だが、前回の帰国時に比べて幾分、仕事は減っていた、今思えばそれがバブルと云われた好景気の崩落の始まりだったかもしれない、それまでほどお金は稼げなかった。
 最初に身を寄せた母親宅ではあまり母親とウマが合わず、友人の家等に親子三人でお世話になったりしながら、パスポートが更新されるのを待って、翌年の秋にはまたニューヨークへと旅立った。

 彼女は本当にCDを出される事を望んでいたのだろうか、全ての行程を終えて後は発売を待つだけとなった今でも僕には解らなかった。
 彼女に出会ってからもう半年以上経つのに、未だ僕は彼女の気持ちは読めていない、元々人の事について詮索するのが疎い性格の僕は相手が気持ちを曝け出してくれない限り、本当はどう思っているかなんて解らない、情けない話だが、彼女に対して意思の疎通など、この期間に感じた事もない、ただ解っているのは、彼女は僕に対して決して好意的じゃなかった、いや寧ろ、嫌われていたとまで思える、ならば、何故、CDを出す事を承諾したのだろう、辞めてくれる方が解り易かったのだが、何か今になって僕はこのCD制作は間違っていたのか、ふと思ったりする、難しい、25才から13年間、好き嫌いをはっきり口に出して主張する国に住んでたせいなのか、口に出さない思いを解するのは苦手で、その事が、93年に日本に戻って来て20年近くも経つのにまだこの国の社会に馴染めないでいる原因だろう、気が付けば社会の枠を外れた処にずっといた様な気がする。

 CDが届いた、1000枚は結構な量だった、段ボール6箱には6月からの時間が詰められていた。

 93年の年が明けて、僕はニューヨークの生活を引き払う事を決めた。
 学生ヴィザは既に終わっていて、観光ヴィザも二度書き換えての滞在だった、どちらも許可期間を越えた、不法滞在と云われるの状態になっていた。
 ニューヨークで生まれた娘には米国籍がある、然し親には幾ら子供がアメリカ市民であろうが自動的に与えられるものではない、非合法住民のまま、この国で子供を育てて行く事に一抹の不安も在った、加えて91年から勃発した湾岸戦争で急速に保守化に走ったアメリカに嫌気を感じ出してきた、そこには僕が憧れて来たヴェトナム戦争末期辺りから始まった愛と平和のカルチャーを否定つつある動きが見えて来ていた、決定的な出来事として、あるラジオ局による『イマジン』の放送禁止があった『イマジン』は僕にとって僕たちの時代を象徴する不偏のテーマソングだった。

 懐かしいと思ったのは声だけではなかった。
 顔に刃の入れてぬ眉が凛として、それでもって下向きに長い睫毛から見える目尻の少し下がった目が昔よく見ていた絵を思い出させてくれた、夢二だ、ふと思った。
 何もかも西洋、白人的な美人像を求める今の日本で彼女は忘れていた日本の美しさを甦らせてくれるに充分な様相をしていた。
 さらに背丈は高く、そのしなやかな長い手足でスツールに腰をかけギターを弾きながら歌う姿に僕には想像でしかなかった観音様がまるで現世に姿を現せたかの様に思えた。
 僕は店のヴィデオカメラで彼女の歌う姿を撮っていた。

 一月程経って、北堀江のカフェで僕の絵の展覧会と合わせて、彼女のライブもする事になり、ポスター作りの為に撮っていたヴィデオからキャプチャーして使える画像を作った、その画像を使い出来上がったポスターを見て、また何か懐かしさを感じた。

 その事は数年前から付き合いが復活した中学時代の友人の言葉で確認出来た。
 ポスターに写ってた彼女の横顔は僕の初恋の娘に似ていた、中学三年間、ろくに口も聴けなかった娘の面影だった。

 足掛け13年にも及ぶニューヨークの生活を引き上げて札幌で住居を構えた。
 住みやすい良い所だったが、仕事が無かった。
 2年半程、暮らした後、東京へ転居した。
 東京で暮らし出し暫くして大阪の天保山にあるカフェで僕の絵の個展が催されることになって、大阪の知人に案内状を送る事になった、そのなかには美穂の名前も当然あった。
 オープニングレセプションに美穂の姿は無かったけれども、カフェには来てた事を店の人が預かったメッセージで知った。
 後日、たまたまカフェへ来てる時に偶然、美穂から電話があった、久し振りに聴く彼女の声は昔と変わらぬ少しハスキーで低い声をしていた、僕たちはお互いの連絡先を交換した。
 積極的に展覧会をしていた。98年に東京の虎ノ門にあるギャラリーで個展を催した時、『けったいやな行けなくてごめん』と美穂からの祝電が届いた。「けったいやな」はその時の個展で付けていた副題で、可笑しいなとかちょっと変ったと云う意味合いの言葉になるのか、大阪言葉特有の褒めもけなしもしてなくただ変ってるなと云うだけの表現になって、普通の人から抽象画を見た時に一番当て嵌まる表現ではないかと僕は思っている。
 その翌年、杉並から青山に転居した後も、美穂から年賀状が送られ続けた、「青山ってええとこやねんね」最初の葉書にはこう書かれていた。
 彼女の年賀状はいつもその年の干支をモチーフにしたイラストで構成されていた。

 卯、辰、巳、午、未と続いて着ていたと続いていた年賀状が申の年には来なかった。
 僕が申の年の秋に受け取ったのは彼女の兄さんから送られて来たイラストと川柳による彼女の一周忌追悼個展の案内状だった。

 僕は一年以上も彼女がこの世からいなくなった事を知らなかった。

  
     絵1
       
プロフィール

Gen

Author:Gen
一応、アーティストです。絵画、映像、写真。
ぼちぼち紹介して貰います

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